厳しい暑さが続きます。
早朝は
澄み渡る青空。
月も見えます。さて、どこでしょう⁉️
熱中症からも守られて過ごせますように。
祈祷会では
箴言4章1節から9節より
「信仰継承」について語られました。
この作者は一人っ子であると書かれていますが、彼には多くの子どもが与えられ、ここで
子どもたちに父からの大切な教訓を受け継ぎ、授けています。(1節から3節)
「私のことばがおまえの心を支えるように。私の命令を守って生きよ。
知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口の言葉からそれてはならない。
知恵を捨てるな。これがあなたを守る。
これを愛せ。これがあなたを保つ。
知恵の初めに、知恵を買え。
あなたが得たもの全てに換えて悟りを買え。
それを尊べ。それはあなたを高める。
それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。
それは頭に麗しい花の冠を与え、輝かしい冠をあなたに授ける。」(4〜9節)
以前にお招きしたある牧師先生がメッセージの中で、「ある新聞のコラムに『信仰継承は間違い』という記事を見つけました。それはもう時代遅れだと書かれていました。その通りかもしれません。でも。そしたら、この世にあって、どこに行ったら、私たちの愛する子どもたちは、神のことを知る事ができるんでしょうね・・・。」と言われたと言います。
親は、愛する子どもを、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、塾、あらゆる習いごとに導き、
あるいは、様々な体験をするために、また子どもを楽しませたいと、ありとあらゆるところへ連れていきます。しかし、まことの神様を知り、学べる場所へは?
人がつくった神ではない、人を造られたまことの神様を学べる場所は、そうそうないと私たちは気づいているでしょうか?
生きて働くまことの神様に触れ、神さまが私たちの人生に生き生きと、どう関わってくださるかを知る事ができる場は数少ない。
教会はそんな場所です。
聖書の使徒の働きには、パウロの獄中のことが記されています。
パウロはピリピの町で不当に捕らえられ、牢獄に入れられました。
しかし、その獄中で真夜中に大地震が起こります。
手足から鎖が外れ、戸が開き、そこに急いで駆けつけた看守は、牢獄に捕らえられていた人々が全て逃げたと思いました。そして、責任を取る覚悟を決めて剣を抜き自殺しようとします。すると、パウロが大声で叫びます。
「自害してはいけない!私たちはみんなここにいる!」
驚いたことに、すべての囚人はそこにおり、看守は驚きのあまり、震えてパウロに言います。
「救われるには何をしなければなりませんか。」
パウロは、言います。
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」と。
パウロはキリストの救いについて、罪の赦しについて、語り、看守は、喜びと驚きを持って神様の
恵みを受け入れ、神を信じバプテスマを受けます。そして、看守の家族全員が共に神を信じバプテスマを受けたと書かれているのです。
この家族は父親が、神様のみわざを知り、自分はどうしなければならないのかに気づき、そして家族全員が救われました。
同じように、私たちから神様のみわざは始まり、そして次の世代へと伝えられてゆく、まさに信仰の継承を私たちは意識しながら生きていくことの大切さを覚えさせられます。
次の世代へと福音が伝えられていく責任と恵みを箴言から学べて感謝です。
「私と私の家は主に仕える。」ヨシュア記24章15節 聖書
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