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神のご計画*箴言16章

更新日:2022年7月4日



13日(水)の祈祷会のメッセージは箴言16章より。

箴言16章は、「主のご計画」について語られています。


1〜9節に特に心を留めて学びました。ここにおいて、神の計画が人の計画より遥かに優れているということが書かれています。


 1節「人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。」

この計画という言葉は、旧約の中ではここでしか用いられておらず、この言葉の動詞形は「整える、並べる、備えをする、比べる。」といった意味があるそうです。


私たちは、ものを比べて観察し、考え、まとめ、計画し、心構えをしていきます。しかし、もう一つ大事なことは、ただ計画するだけでなく、それが実行力を持った言葉として発せられてゆくことです。計画が言葉として発せられてゆくこと。

「舌への答え」というのは、考え・説得力のある言葉として表現していく力であり、それは、主から来るものであること。


人々を魅了し、新しい時代へと導く素晴らしいプレゼンテーションが多々あり私たちは感動します。しかし、ここで箴言の作者がいっているのは、そういった類のものでなく、主の幻・御計画が、言葉・力となり、それが人に語られるのは人の努力でなく、神が与えてくださるものだということなのです。


また人の心の中にある計画は、心の中にあるだけなら隠されていて、実行されませんが、それが人の口を通して人々に語られて行くときに力を持つことになる、その語られる時に、神さまがふさわしい表現を与えてくださることを、ここで「舌への答えは主から来る」という言葉で表現しているのです。


イエス様が人としての33年の生涯を終えられ、昇天された後、弟子たちはエルサレムに留まって約束の聖霊を待ち望み、祈りの時を過ごしていました。

それから10日後、ペンテコステの時に炎のような分かれた舌が現れて弟子たち一人一人の上に留まったのです。その時、彼らはエルサレムに集まっていた諸外国の全ての言語を用いて神様のみわざを語り始めました。


弟子たちは心を合わせて祈っており、これからのために備え、整えていたでしょう。

しかし、神様は彼らの舌に、特別な形で答えを下さり、そしてペテロはメッセージを語ったのです。

 

つい先ほどまで、とどまっていたペテロが表へ出て、そして、そこから3000人の人が弟子として加えられていきました。


新共同訳では、「人間は心構えをする。主が舌に答えるべきことを与えてくださる。」口語訳では「人にはかることは人に属し」とあり、人がせねばならぬ領分としての責任は、熟考すること、心構えをし、整え、対処の備え、計画することであること、

しかし、それが実現に向けて力を持って表現されるのは神様の領分であること。


わたしたちは、この「人の領分」と、「神様の領分」を正しくわきまえていくことが重要であり神が働く中で、私たちは計画し、神が事を行わせてくださるということを改めて教えられました。

思い・計画=人の領分

実現・実行=神の領域


2節には「人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。」とあります。

人の領分においてどんなに純粋な思いで計画したとしても、それを評価されるのは主であり、人は主なる神様に委ねる気持ちを持つことが必要なのです。

もし、神のお心にかなうならお願いしますというところに、私たち自身を立てねばならない。


そして3節に「あなたのわざを主に委ねよ。そうすればあなたの計画は固く立つ。」とあります。この委ねるという言葉の元々の意味は、「石をころがす」という意味だそうです。

詩篇37篇5節には「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」とあり、わたしたちのこれからの行く道において、石を転がせばどこの方向に転がっていくかわからないとしても、自分の考えや手段に固執するのではなく、主なる神様に委ねなさい。そうすれば、それは揺るぐことなく、固く立ち、実現する、だから主に信頼することが重要だというメッセージです。


9節の「人は心に自分の道を思い巡らす、しかし、主が人の歩みを確かにされる。」はこの1〜8節のまとめの節ともいえます。

3節の「計画」の動詞形が、9節の「思い巡らす」であり、

3節の「固く立つ」と9節の「確かにされる」は同じ言葉が使われています。


私たちが「心で思い巡らすこと」というのは、常に「神様のビジョンを実現させるためのもの」でなければ空しいものです。

詩篇127篇1節にこのようなみことばがあります。「主が家を建てるのでなければ、建てるものの働きは空しい。」と。


「主の家を建てること」これが、「神様のご計画」です。

そうと知れば、その計画を知り、それに参画するのが私たちの人生の目標です❣️

そこから離れた私たちの、家庭・教会・職は空しいものです。

私に与えられた命、人生、機会は何のためか。

用いられるとは。生かされるとは・・・。生きる限り、私たちは考え続けます。

全て主が歩みを支えてくださったこと、主のみわざが、ご計画が行われていくことを覚えつつ、主の導きに信頼し、主の計画に自分を寄り添わせ、神の主権を認めて自分自身を委ねて行くこと。。


深い学びのひとときに心から感謝しつつ。


「くじは膝に投げられるが、その全ての決定は主から来る。」箴言16章33節

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