暑い一日。そして元気いっぱいの日曜学校からのスタートです🥰
みことばは「主は先に出ている」と題して第二サムエル記5章より。
ダビデによるイスラエルの統治がいよいよ始まる所です。
ダビデが神様に王として召されたのは17歳の時。サムエルを通して7人のお兄さんの前で油を注がれました。それから13年もの年月が経ちの30歳にして、ダビデは神様の約束通り全イスラエルの王となったのです。
この13年間は試練の連続でした。その間にダビデが自分の力でもって王の座に着く機会は幾度も訪れました。しかし、サウル王の命を狙い「我こそが王なり」と名乗りをあげることをしなかった。それは「主が油注がれた方に手を下さない」というダビデの一途な信仰のゆえでした。
「神の時」と私たち人間の時には大きなタイムラグがあります。神の時は何年も、何十年も先かもしれない。その「神の時」を「待つ」ということの大切さを今一度教えられます。
❶全イスラエルの王となったダビデ
1節において、これまでユダ部族だけの王であったダビデの前に全部族が集ったことが分かります。2節では他の11部族の長老たちの語った言葉が記されています。
「これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。主はあなたに言われました。『あなたが私の民、イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』と。」
ダビデの命をつけ狙うサウルの権力を恐れ、もしもサウルに反逆すれば利益を損じるかもしれないとダビデに敵対していた彼らでしたが、サウルやアブネルが死に、ついにダビデの元に来ることになりました。
ダビデはそんな彼らを受け入れ、全イスラエル前で油注ぎを受けたのです。
彼らがここで「あなたが」と繰り返していることの意味が語られました。
ギリシャ語にしてもヘブル語にしても、主語がなくてもその動詞を見れば主語がわかるがここであえて、長老たちが「あなた」と主語を使っていること。
ダビデは繰り返される「あなた」という言葉を聞きながら、神が自分を王として召され、王として用いられるということを確信し、彼らのことを受け入れたのでは?と語られました。
王として油注がれたのに、何度も何度も殺されそうになり、荒野を逃げ回り、敵軍に逃げ込み、大変な苦労の連続でした。しかし「神の時」には、あまりに高くて重いような「扉」も開かれるのです。私たちも、祈り、求め、努力してもなかなか道が開かれないということが信仰生活にはあります。そして、待つことができないのが弱い私たちです。
アブラハムをとって見ても、神の約束を待つことができず自分の思いや考えで、動いてしまう弱さがあるのです。「ああ、主よ。約束してくださったのに、いつまで待つのでしょうか」と。
信仰の霊的訓練は「待つこと」であると語られました。
もしも、神様が約束のものを「10年先」と言われたら、私たちは待つことができず諦めてしまうかもしれない。神様は長い長い沈黙の中で、そんな私たちを練り、忍耐を育て、品性を整え、神の器として用いられやすい者へと訓練し、そして、準備ができたときに、パッと扉を開いてくださる方なのです。
またその待っている間も、神は何もされないのではない。2節で長老たちの言った「牧す」という言葉。ダビデはこの言葉を聞いた時に、きっと思い出したに違いないと語られました。ダビデは羊飼いでした。預かった羊たちを大切に養い、育てる羊飼い少年だったのです。それゆえに「牧する」ということがどういうことかよくわかっていました。
神の民一人一人を大切に養い育てる、そのような力を、この待つ期間の間も神様はダビデの中に培ってくださっていたのです。
これまでの道をダビデは思い返しながら、これからの道にも思い巡らしたことでしょう。
私たちの人生もまた一歩一歩進むときに、それは自らが選択しているように思う。しかし神様はそれさえも用いながら、ご自身の働きに召し、確実にその働きを進めてくださるのだと語られました。神様から導きが与えられた時に、恐れずに進む中で神がそれを用いられ、ご計画の中で一つ一つがしっかりと結びつけられて用いられているということ。
ダビデが王位に就く、この就任式の様子については歴代誌にも収められていますが、そこにはこの時、ヘブロンには32万人以上もの兵士たちがそこに集まったと書かれています。
ダビデが王となることを民たちが見て、そして彼らの「心は一つ」であったと記されているのです。集められた能力が主によって一つとされるということ。
教会についても「賜物や経験でなく、心を一つにできる人を送ってください」と祈っている、と語られました。神の御心を求めながら、神が立てられたリーダーとともに、心を一つにし、キリストの体を愛して行くときに、主の宣教・主の御業が進み、主のご栄光が表されてゆくということ。
❷主が共におられるなら
ダビデが王になって最初にしたことは、エルサレムに行ってその地を占領することでした。
全イスラエルを見るときに、ヘブロンでは南すぎたのです。
エルサレムはちょうど真ん中に位置し、どの部族も所有権を主張していない地でした。
そこに「エブス人」が居座っていました。
エルサレムは平地でなく、小高いところにあり、そこは自然の要害となっていた所でした。
それゆえにエブス人は自信満々に、攻めとることなどできないだろう!と言いました。
しかし、ダビデと軍は攻めとりました。なぜそれができたか。ダビデや家来たちが、知恵がありよく地形を知っていたからか。否、10節にあります。
「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼と共におられた」と。
神は信じる者の力と祝福の源であり、この神が共におられたダビデたちは勝利することができたのでした。
エブス人たちは傲慢でした。「この堅固なところを攻めとることなどできないだろう!」と。しかし彼らは滅んでいったのです。神様を決して侮ってはならないということ。
自信を持つ人は自分を誇り、主を侮る人はその責任を問われることとなるのです。
❸主の御前にへりくだることの幸いを知りましょう
11節でダビデが王宮を建てたことがわかります。
イスラエルの人々は農業や牧畜に従事していたので、木材や石材を加工して建物を建築するということには慣れていませんでした。では、どのように建てたのか。
ここでツロのヒラムという王様が出てきます。彼が使者とともに杉材や木工、石工を送ってきたのです。
このツロはエルサレムから150キロほど離れていたのだと語られました。その距離を経て材料を運び込んできたこのツロの王ヒラムは、ダビデの祝福を見て、彼と和平を結ぶことを選んだ異邦人でした。
12節には「ダビデは主が自分をイスラエルの王として堅く建てて、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った」と書かれています。ダビデは全てが神様から成り、神様によって与えられたということを知ったのです。自分は神様に用いられているに過ぎない器であって、ただ神様を恐れ、神様の言われたことを行うということを認識していたのです。私たちも、自分の身の回りに起こってくることを通して「ああ、神は私の人生をケアしてくださっているのだなあ」と知るのです。
キリスト者全てに、救われてきたストーリーがあります。そしてそれら一つ一つの神の導きと配剤を覚える時に改めて神の前に額ずき救いに感謝するのです。
ダビデは権力の頂点に立ったというだけでなく、自分が神の所有であるということに自分を置き続けた。用いてくださったのは神様。これは必死に自分の縄張りづくりをしていたサウルの人生とは真逆の生き方でした。
❹神の御心を聞く者でありましょう
17節でペリシテ人が攻め上ってきたことが語られています。
これまで、ずっとダビデを信じ「仲間だと思ってきたのに!」といった所でしょうか。
はらわたが煮えくりかえると表現してもいいくらいに、怒り心頭であったことでしょう。
ですからダビデの統治が始まってすぐ、大軍で攻め上ってきたのです。
彼らはレファイムの谷間までやってきました。
さあ、この時、ダビデがどう出たか。
ダビデは、戦う前に主に伺ったとあります。自分の思いと行動に出る前にまず祈ったのです。そして、19節で神様の導きに従い、戦った時に、神様は勝利を与えてくださいました。
しかしさらに21節で再びペリシテ人たちが攻め上ってきたことが書かれています。
霊的な戦いは一度では終わらないことをここで見るのです。
サタンは何度も何度も生涯にわたって攻撃してきます。その時どうしたら良いか。
ダビデはこの時も、また「祈る」のです。
戦略や能力ではない。神の臨在が勝利をもたらすということ。
人生においても、様々な場面で戦うというとは当たり前と言われるかもしれない。しかし、その当たり前のことを祈る。私の習慣。ルーティン、やり方で行くと言って、もしも祈りもしないなら、それは惰性の産物となってしまうということ。
「主よ。今私に求められていることは何でしょう?」と祈り続けるのです。
主はダビデの祈りにまたも答え、語ってくださいました。24節に「行進の音が聞こえたら」とあります。これは敵の軍の行進ではなく、「神の軍の行進」なのだと語られました。
主に伺ったダビデたちよりも前に、神様はすでに先陣を送り、その中にダビデたちを送り込んでくださる。これが主にある者の戦いなのだと。
主がすでに道備えしてくださっている。私たちの知らないところで、もう道を整えてくださっている。そして、すべての時が神様の時と一致した時に「ここにきなさい」と呼んでくださる。勝利の秘訣はただ一つ。「主が語るまで待つ事。そして語られたなら出てゆく」
今週もこの神様と深く交わる時とされたいです。
「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。詩篇127篇2節 聖書」
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