昨日から続く恵みの雨の1日でしたね。
日曜学校では元気よく賛美をしたり、ゲームをしたり。ダンスつきの賛美を元気よく踊っていたら後ろで70代の婦人もニコニコ一緒に踊っていて皆で楽しいひと時でした。
みことばは、ルカ書より「ヨナにまさるもの」と題してメッセージ。
子どもたちは礼拝の前に日曜学校で同じ箇所からみ言葉を聞きますが、先週のお話もよく覚えていて「ベルゼブル」「神の指」といった言葉もさっと出てきてすごいなーと感心感心・・・。
よく聞く心。教えられやすい心。子どもたちに教えられます。
イエス様の行われた御業をみて、非難する人、称賛する人、の他に「それではしるしを見せてみよ」という人々がいました。
その「しるし」について、イエス様は語られました。「しるしを求めるとはどういうことか」それを求めるこの時代は悪い時代だとイエス様は言われました。
この日本では人口よりも、宗教人口が多いと言われています。
それはいろんな宗教に足を踏み入れる人が多いからだと語られました。
イスラエルにおいても、唯一の神様を信じると言いながら、外国からバアル・アシュタロテなどの偶像が家族やその知人から入ってくれば、それを容易に受け入れてゆくそのような弱い信仰の姿がありました。イエス様が「悪い時代です」と言われたその背景を学びました。
ここでイエス様が言われている「しるし」とは何のことでしょうか。
この「しるし」という言葉は聖書において77回も使われているそうです。
そして「しるし」を求めるということについて、聖書はどちらかというと肯定的なのだと語られました。それは、私たちが神を信じるようにという励ましであり、確信を持って一歩前進してゆくことができるようにと神様が用いられることもあるからです。
しかし、この箇所においては、否定的に、悪い意味で使われています。
このルカ書を記したルカは、ルカ書の他に使徒行伝も記していますが、彼は聖書全体が使う「しるし」という言葉の77回のうち24回も使っているのだと語られました。
彼も「しるし」について肯定的であり、使徒の働きを通して、不思議な業がなされていったことをしっかりと記し、業が見えるということは素晴らしく良いことだと理解しているのです。
そのルカが自分が記した書物の中で2箇所「しるし」を否定的に記している一つが今日のこの箇所であり、もう一つは、ルカ書23章8節です。
それはイエス様が十字架にかかられるまでに、大祭司カヤパからピラトのもとに送られ、さらにヘロデ王のところに送られていかれたところに記されています。
ヘロデは、イエス様の行われた数々の奇跡の話を常々聞いており、その「しるし」を自分の目の前で見たいと望んでいた、とそう書かれているのです。
イエス様を尋問しながら、しるしを見せてくれたら解放してやってもいいぞといった姿勢。ルカはそのようなしるしの求め方に対して、否定的な書き方をしているのです。
イエスさまを信じようとして求めるのでなく、イエス様を疑い、しるしを見たら、それを求めるのも良いといったよこしまな思いを持って要求する、そのような興味本位でイエス様を知ろうとしている求め方はよくない、違うのだ、とルカは言っているのです。
そのような姿勢の彼らに対してイエス様は
29節で「ヨナのしるしの他には与えられない」と言われました。
つまり、例外のしるしがあるということを教えられ、その「ヨナのしるし」はこの時代が求めているしるしとは全然違うのだ、と言われたのです。
そして、すでにそれ(ヨナのしるし)は与えられているのだ、と言われました。
一体「ヨナのしるし」とは何でしょうか?
31節と32節に「南の女王」と「ニネベの町」が出てきます。
まず、南の女王とは、第一列王記10章に登場するシェバの女王のことです。
アラビア半島の南端で現在のイエメンにあたる場所だと言われていますが、この国の女王が、イスラエルのソロモンの知恵の噂を聞き、わざわざ謁見を求めてやってきました。
彼女は、ソロモンにあい、また全てを目にして、驚きを持って言います。
「私が国であなたの業績と知恵について聞き及んでいたことは本当でした。自分できて、自分の目で見るまではそのことを信じなかったのですが、なんと、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていた噂より、遥かにまさっています。」そう絶賛して帰ってゆくのです。
次にニネベの町とは、ヨナ書3章に記されています。ニネベはアッシリアの首都であり、預言者ヨナにしてみれば、あんなニネベの町など滅んでしまえと思っていたような偶像に満ちて繁栄した町でした。そんな彼ですから、神様に行けと言われても、素直に従うことができず、預言者として遣わすと言われたニネベとは反対行きの船に乗ってしまうのです。
そんな彼を神様は嵐に🌀遭わせ、ヨナは魚に飲まれて行くわけですが、3日3晩の魚の腹の中で、胃液にも溶かされず、不思議なようにして守られ、悔い改め、彼はニネベの町に打ち上げられて、宣教しました。「あと40日したら、ニネベは神様によって滅ぼされる!悔い改めよ」と。驚くべきことに、このニネベは繁栄していた町だというのに、驕り高ぶってヨナの予言を聞かないどころか、「王から家畜に至るまで悔い改めた」と書かれているのです。繁栄の一途を辿っており、そんな滅びるなんてあるわけないだろう!と反応してもおかしくなかった人々が、町をあげて悔い改めたときに神様はそれを受け入れ、滅ぼされることをされませんでした。
この時のニネベの街の人々は、「しるしを見た」のではなく、ヨナが語る「ニュース・情報説教を信じた」のです。まさしくこれが「ヨナのしるし」と言われているのです。
30節において、ニネベの人々に対して「ヨナのしるし」
この悪い時代の人々に対して「人の子がしるし」と記されています。
イエス様は「ソロモンよりも、ヨナよりも勝るご自身がここにおられるのに人々はそれを信じようとしない」のだと言われました。
「ヨナのしるし」とは、「ヨナがニネベの人々のためにしるしとなった🟰ニネベは滅びると説教した」ということであり、「人の子がしるしとなるのは🟰イエス様の説教」を表しているのです。
つまり、イエス様の御言葉・説教そのものが、あなた方にとっての「しるし」なのですよと言われている。イエス様の説教こそが、ソロモンの知恵に勝り、ヨナの説教に勝ると言われてるのです。
ルカ7章35節に「知恵が正しいことは、すべての知恵の子らが証明します。」とあります。イエス様は罪人とレッテルを貼られている人々のところに行かれ、その人々はイエス様を救い主として信じ受け入れ救いの恵みに預かりました。「知恵の子」とは神様の知恵のことを指し、正しく賢い人々が救われるのではなく、ご自身が救いの計画を持っておられる人々が救われていくのだと、言われているのです。
イエス様が十字架にかかられる前まで、贖いの死や十字架について理解のない時代でした。
よみがえりを知らず、永遠の命を保証されることもまだなかったのです。そのような中で、イエス様は、目にみえる形でのしるし、癒しをなさりながら、説教をされていきました。
イエス様のよみがえりの後も、使徒たちは奇跡をおこなっていきました。それは十字架・よみがえりがまだ十分に解き明かされず、聖書にまだなかった時代です。
パウロの書簡もまだなくて、そのような中で、使徒たちはしるしと奇跡を宣教とともにおこなっていきました。
使徒の最初の部分はしるしが多く、後半は少しずつ減ってきているのを見ることができます。現代は、聖書に書かれている信仰を解説し、語られる時代です。もっと、もっととしるしを求める必要があるかというと、そうではなく、大切なのは、しるし奇跡でなく、ヨナのしるしとして与えられている「神の言葉」そのものであることがわかるのです。
第一コリント22章24節
「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、ユダヤ人であっても、ギリシャ人であっても、召されたものたちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。」
ローマ10章17節には
「信仰は聞くことから始まります。聞くことはキリストについての言葉を通して実現するのです。」とあります。
信仰はしるしではなく、イエス・キリストの言葉を聞くことから始まり、それを受け入れることから始まるのです。
パウロはテモテに手紙を書きました。その中で「この時代はますます悪くなり、聖書の言葉ではなく、人々は自分の耳聞こえの良いことに行くようになる。人々が受け入れるように喜ぶように語るのでなく、神の言葉に立って、責め、戒め、勧めなさい。」と記しています。
人々が神様を信じてくれるように、奇跡やしるしを求めるのでなく「ヨナにまさるもの」と言われる「イエス様の御言葉」を求めて行く者でありたいと願わされました。
なぜなら、この神の御言葉こそが、私たちを救うのですから!
「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みに従って自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。第二テモテ4章2〜4節 聖書」
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