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「確かな神がおられるから」*ローマ書13章1〜7節

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更新日:2023年1月25日


玄関の階段を上って行こうとしたら、カマキリの赤ちゃんが、ホイホイッフワフワッと歩いていました。一生懸命歩いています。ひょっとつかもうとしたら、サササササッとスピードアップで壁に逃げてゆきました。可愛いなーとしばらく眺めていました。

夏の花も賑やかです。


礼拝のみことばは「権威に従いなさい」と題してローマ書13章より。

12章では個人的に不当な扱いを受ける時、どのように対処するかが記されていますが、

13章で、パウロは為政者から不当な扱いを受ける時に、キリスト者としてどのように向き合うのかを記しています。


❶上に立つ権威に従う


パウロは「権威のすべては神によって立てられたものである」という見解を持っていました。ゆえに「上に立つ権威に従いなさい」と教えるのです。



権威とは、神が許し、それが成り立つように立てられたものなのだ、と。

それがどんな政府・組織であったとしても従いなさいと教えるのです。

人が作り出すものには間違いがある、しかし、それを許容しておられるのは、神であり、従うときに、平和が与えられ、従わない時にそこには混乱が起こるのだと。


それでは「長いものに巻かれろ」というのですか。という声が聞こえてきそうです。しかし

この全世界を造り支配されておられる神様は私たちが思うよりも遥かに高く広く正しく、その神のつくられた秩序と摂理の中で許されていることを、思うのです。


聖書には「私たちの髪一筋さえも神の許しなしには失われない」と書かれています。

完全な神の御思いを理解できる力は、私たち人間にはない。この神の御心に沿う生き方が私たちには求められているということ。


民数記16章に、モーセとアロンに逆らった「コラ」の一族が出てきます。

彼らはモーセとアロンに向かって「あなたがたは分を超えている。自分たちは皆聖なるものであって、あなたたちだけが特別なのではない。なのに、なぜあなたたちが自分たちの上に立って指導するのか」とたてつきました。すると神様が彼らを激しく怒り、その地面が割れて彼らは飲み込まれていってしまったのです。

指導者モーセに逆らった罪は、神の権威に逆らうということであることを彼らは軽くみていたのでした。


ある社会学者の言葉が語られました。「現代人が経験する混乱は、父親不在の社会になったために生まれたものである。」という言葉です。これはどういうことか。

昔は↑上の絵のように!?怖いものといえば「地震・雷・火事・親父」という言葉があるように、父親の権威があり、その言葉にも威厳がありました。


19世紀に「自由主義」が広がり、それまでの宗教的また社会的権威が排除され、代わりに理性と文化が人間を進歩させるのだという考えが広がっていった時に、社会は進歩でなく、崩壊へと向かっていきました。


このような背景もあり、私たちが「権威に従う」と聞くときに、違和感を感じてしまうと語られましたが、なるほどと思わされました。


家庭において、職場において、また教会において、国家において。

神様が与えられた権威に従いなさいと教える聖書のみことばを真摯に受け止め、真の「権威」を回復し、神の造られた秩序を尊ぶこと。

親は子に従うことを教え、またそのためにはエペソ書6章4節には「父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ主の教育と訓戒によって育てなさい」とありますが親は子に対して、神の価値観・神の権威にある良い影響を与えることが非常に大切なことを思わされます。


第一テモテ2章1節で「そこで私は何よりもまず勧めます。全ての人のために、王たちと高い地位にある全ての人のために願い、祈り、執りなし、感謝をささげなさい」とパウロは記しました。

私たちが国家に従うのは政府が間違いのない正しい組織だからでなく、神が許されてある権威であるから彼らのために祈ることをするのだ、と。

たとえがっかりすることがあったとしても、教師や上司のために祈り聞き従うということ。

第一テモテの2章2節ではその理由が書かれているのです。

「それは、私たちがいつも経験で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです」と。


❷責められることのない良心を持って歩む


パウロは権威を持つ者を「神のしもべ」と2度も記しています。

「あなたがたに益を与えるためのしもべ」「彼は悪を行う人には怒りを持って報いる」と。

上司や権威者の背後に「神がおられる」とパウロは記すのです。


さて。この手紙をパウロが書いたのは、どんな時代だったでしょうと語られました。

イエス様が33歳の生涯を閉じられ天に昇られてから数年後。キリスト者への迫害が強くなってきた時代でした。この迫害の中、パウロがローマ皇帝や高官を「彼らは神によって立てられている」と告白できたということは驚きです。

パウロはそのような中でも、摂理の神、それらの迫害も全て神の御手の中にあるという信仰を持っていたのです。


しかし、神を冒涜するような権威に無力・無批判であるということは違うことであるとも語られました。ダニエル書に出てくるダニエル。また3人のシャデラク・メシャク・アベデネゴは、神様の御心に明らかに反する王の命令には従わず、神への信仰を貫いたのです。そのような彼らを神は放っておかずしっかりと守られました。


神様の御手の中にある王の権威に従うということ。キリスト者は神の御前に正しいことは何かと追求してゆく時に、世の中においてあれもダメこれもダメ、と反抗的と見られる姿を持ちやすいけれども、パウロの理解に立ち「全ての背後に神がおられる」ということを信じて歩むということは非常に重要です。


❸義務を果たす


7節には「全ての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め、関税を納めるべき人には関税を納め、恐るべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい」と書かれています。


マタイ17章24節にはイエス様とペテロのこんな会話が記されています。

神殿税を集める人たちがペテロのところにきて、「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか」と尋ねます。そのペテロにイエス様の方から言われるのです。

「あなたはどう思いますか?地上の王たちは誰から税や貢物を取りますか?自分達の子からですか、それとも他の人たちからですか」

ペテロが、他の人たちから、と答えるとイエス様は言われました。

「ですから子どもたちにはその義務がないのです。しかし、あの人たちをつまずかせないために、湖に行って釣り糸を垂れ、最初に釣れた魚を取りなさい。その口を開けると、スタテル銀貨一枚が見つかります。それをとって、わたしとあなたの分として納めなさい。」


この世の本当の支配者は神であられ、本来はこの世の子に払う義務などない。しかしつまずかせないように税金を納めるようにと、イエス様は言われました。


私たちは神の子を信じたが故に、神の子とされる特権を与えられました。私たちの名は天国の国籍簿に記されているのです。言ってみればダブル国籍を持っているようなものです。

人によっては何十年もこの地上ですごす。神の御許しの中で、天国にあげられるその時まで

私たちは、置かれている場で、そこにある権威に従うことが求められているのです。

背後に確実に、確かな「神がおられるから」です。


「主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。昼も日があなたを打つことはなく、

夜も月があなたを打つことがない。主は全てのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいを守られる。主はあなたを行くにも帰るにも 今よりとこしえまでも守られる。詩篇120篇5〜8節」 聖書



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