CS子どもクラスでは、まつぼっくりでツリーを作りました。🌲細かい部分に、器用にスパンコールを飾っていき、素敵な作品の出来上がりです。☺️お家で飾ってね❣️
お話はマタイ1章とルカ2章から、イエス様のご降誕のお話をしました。
クリスマスは何の日か。
クリスマスの意味がわからずに、ケーキを食べて、プレゼントをもらって終わってしまう人が大半の日本で真実なクリスマスの意味を知るということは、とても大切な恵みであり、だからこそ、このグッドニュースを一人でも多くの人にお知らせしなければと、
羊飼いさんたちの姿を追いながらも(ルカ2章17節)そんな思いになりました。世界中が、主役抜きのパーティは終わりにして、本当の理由を知り、プレゼントを受け取る、そんなクリスマスの時となりますように・・・。🎄
礼拝のみことばは、イザヤ書9章1節から7節より、「ひとりのみどりごが」と題してメッセージ。
イエス様の救いについて、聖書の中で初めて語られているところはどこかというと、それは、創世記3章15節においてです。
神様は創造の御業の後、エデンの園で罪を犯してしまったアダムとエバ、蛇それぞれに語られましたが、その時すでに、罪の世界に入った人間を救うために、大切なひとりごイエス様をこの世界に送る計画を持っておいででした。
そして長い長い年月の中、救い主としてお与えになることを多くのメッセンジャー・預言者を遣わしては語られていったのです。イザヤもその預言者の一人であり、
「やがてこの地はひとりの男の子によって、平和で満たされる。」と大胆に語りました。
このイザヤの預言は、救い主を待ち望んでいたこの時代の人々にとって大きな預言でした。まさにオリエントの時代、大国が次々と起こり、パレスチナ地方において、アッシリヤ帝国が立ち上がり、海なく地続きのイスラエルは、脅威・敵国となる国々からの攻撃の不安や危機感に悩まされ、対抗の余地はあるのか、安心できない日々を送っていました。
少し状況は異なりますが、私たちの生きる現代も、コロナや震災、多くの見えない敵によって心悩まされ、終息はいつなのか、恐れを持ちながら、頭を抱え、平安が失われるような時代を迎えています。私たちも恐れの時代にある今日、主のメッセージに目を留め受け取っていけたらと思います。
❶神はへりくだられた
イザヤの預言は、イエス様がお生まれになる700年近く前のことでした。
ずっと先のことについて語られた訳ですが、初めであり終わりであられる神様の目は
まさに、世の初めから終わりまでをずっと見ておられ、御心の時に御心を成し遂げられることを覚えます。
イザヤ書9章6節の
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」というみことばは、原語では「〜生まれている。」「〜与えられている。」という預言的完了形で書かれており、約束として与えられていることが確実に起こると語られています。
イザヤ55章10〜11節には、こんな言葉があります。
「雨や雪は天から降って、元に戻らず、地を潤して物を生えさせ芽を出させて、種蒔く人に
種を与え、食べる人にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、
わたしのところに、空しく帰ってくることはない。
それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」
神様が預言者を通して与えられたことばを、必ず、ご自身が成就されるということ。
また、驚くべきことに、神さまが与えてくださったこの人類への救済計画は、非常にへりくだった形で実行されました。
イエス様は2000年前に、小さな可愛らしい赤ちゃんとして、この世界に生まれてきてくださいました。しかも貧しい力のない人を親として選ばれ、居場所もなく、粗末な飼い葉桶に寝かされました。
なぜ、全知全能の力ある神が、そんな姿をとられたのか。
罪深い私たちに限りなく近づき、力のない赤ちゃんとしてへりくだって生まれてきてくださったのか。
神様は軍事力には軍事力ということでなく、
人間の持てる権威を振りかざしてこの世を支配しようとされたのでもなく、
私たちが思わず頬擦りしたくなるような、小さな弱い存在として、生まれてきてくださいました。私たちはそこに平和や和らぎ・愛・恵みを感じます。
敵もいて、身分も低く、無力な私たちの元に来てくださり、平和と愛のうちに守ってくださる。万能な全てを持っておられる方であるから、力を持ってくることもお出来になったのに、愛と平和を持ってきてくださった。そのことを深く覚えたいと思います。
❷イエス様について記されている四つの名前が意味するもの(イザヤ9章7節)
🟡「不思議な預言者」・・・「驚くべきことを企画する者」の意。「不思議」とは人の成した業ではなく、神が成された御業に使われる言葉。また「助言者」とはアドバイザーではなくメッセンジャーの意。イエス様はいつも「神の国を第一に求めていきなさい」など私たちがこの世界において、どのように生き、過ごしたらいいかを語ってくださっていました。
🟡「力ある神」・・・イエス様は人々のところに行き、お言葉ひとつで癒し、また悪霊を追い出し、波や風を叱られ、被造物の自然も主のお言葉に従いました。
🟡「永遠の父」・・・私たち人間は限られた時間・空間の中に生きていますが、イエス様は永遠のお方。「父」として愛と配慮に満ちておられた憐れみ深い方であり、嫌われている者、ザアカイやサマリヤの女のところに来てくださり、生きる勇気や力を与えてくださったお方。
🟡「平和の君」・・・イエス様ご自身が平和であられ、暴力を振るうこともありませんでした。オリーブ山においてイエス様を捕らえるために、兵士たちが迫ってきた時に、ペテロが大祭司のしもべに短刀で斬りかかり、耳を切り落としました。(ルカ22章50節)するとイエス様は、その耳に触り、癒されました。十字架につかれた時も、「お前が救い主メシヤなら自分で自分を救え」という侮りや挑発にのられることもなく、私たちの罪の身代わりとして十字架の贖いを全うしてくださったのです。私たちはこのイエス様を通して、真の平和・平安を得ることができるのです。
❸みどりごは神様からのプレゼント
クリスマスになると、聖ニコラウスを起源としたサンタクロースが登場し、ファンタジーの世界に人々をいざないます。このサンタクロースは「良い子」のところには来るけれど、「悪い子」のところには来ないという設定ですが
神様が条件なしで、「良い子」と言われる人にも、「悪い子」と言われる人にも、「全て」の人に、とっておきの一番大切なプレゼントを与えてくださった、それが本当のクリスマスです。
「ひとりのみどりごが私たちに与えられた。ひとりの男の子が私たちに与えられた。」
クリスマスの主役は、他の誰でもない、この赤ちゃんとなって世界に来てくださったイエス様なのです。
あなたの誕生パーティに集まった人々が、あなたを無視し、あなたを抜きにしてお祝いをしていたら、とても悲しく、そのお祝いは的外れで残念な会であるように、
クリスマスは神様からのとっておきのプレゼント「イエス様」をいただいた日であることを覚え、それを受け、感謝の思いをもってそれを伝えるひとときとされたいと思わされたことでした。みことばに感謝します。
「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。」
ローマ8章32節 聖書
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