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「ヨナタンのようになりたい‼️」*第一サムエル記14章1〜23節

更新日:2022年6月29日


今日は「信仰の勝利」と題して第一サムエル記14章前半よりメッセージ。

❶信仰から生まれる行動

13章において、戦車・剣・武具を豊かに持ち、十倍以上の数の兵士たちを持つペリシテ軍を前に、圧倒されて逃げ惑い恐れるイスラエル軍の姿を見ました。これは負け戦になるであろうと誰もが思いました。

イスラエル軍は3000人から600人へと少なくなり、さらに唯一の頼みの綱の霊的指導者サムエルは、勝手にいけにえを献げてしまったサウルに怒り帰ってしまい、士気は下がり戦う前から勝敗も決まったようなものでした。


14章は「そのようなある日」という言葉で始まります。

ほぼ全ての人が諦めてしまうような状況で、たった一人、皆が怖気付いている中、勇気を奮い立たせ、ペリシテ軍に向かっていった人がいます。それがヨナタンです。



ヨナタンは道具持ちと二人で、このペリシテ人を攻めに行きました。

普通で考えればあまりに無謀です。この強硬な大軍ペリシテ人に対して、3000人、600人でも向かっていくことは考え難いことでした。それなのに、彼は2人でいったのです。ヨナタンのどこにこんな勇気があったのか。


当時の戦いは、神々の戦いと考えられていました。背後にある神々が戦うと考えられていたのです。ペリシテ人はダゴン神を信じていましたが、これまでの戦いの中でイスラエルの神が力ある神であることを知っていたでしょう。

ペリシテ人たちは、このイスラエルの神に勝つぞ!という強い思いを持って、イスラエル軍相手に数え切れない人数の兵士を集め、3万の戦車を連ね、万全の準備をして向かってきたのです。

しかし彼らのうちには、イスラエルが恐れ惑って逃げ去り、ただでさえ少ない軍も加えて目減りしていく様が映り、イスラエル軍の士気を失う様子を前に、気の緩みが出てきたこともありました。彼らは、岩の谷間に戦陣を敷き慢心な思いでそこにいたのです。


そこへヨナタンが出ていきました。彼は勇敢に立ち上がったのです。

6節でヨナタンがいいます。

「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく主が我々に味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」

ヨナタンにとって攻め上る人数も、或いは敵の人数も問題ではなく、主が共にいてくださるかどうかが問題だったのです。


つまり、「私たちは神の民だ。今この戦いをしようとしている敵は神の民ではない。神は当然、勝利を与えてくださるだろう。主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」これはまさに、ヨナタンの信仰の告白だと語られました。


イスラエルの人々が敵の数や強さ、自分たちの少数であることや弱さを見ている中、ヨナタンは「神」を見ていたということ。

そしてその姿は、後に、ペリシテ人ゴリアテに「この戦いは主の戦いだ。」と立ち向かい勝利したダビデの姿を思わせます。この二人が信仰によって強い友情で結ばれたことも頷けます。たった一人であったとしても「主が共にいて、戦ってくださる」この告白の素晴らしさを思います。


9節からヨナタンが神の御心を伺っていることが書かれています。

いつ行ったら良いか。神が共に働いてくださっているからこそ、神の御心に従おうという心。神の御心がそこにあるか確かめながら、一歩踏み出してゆこうという姿。

祈っていく中で御心を聞きみことばと共に開かれていく導きについて語られました。


私たちには自由意志が与えられ、また選択肢が与えられており、

ヨナタンが10節において、ペリシテ人の言葉に主が働いてくださると信じて求めていったように、私たちも自分の思いを先に出すのではなく、神の御心ならそれが私にわかるように教えてくださいと御心のタイミングを求めてゆくということ。


ヨナタンと道具持ちが、御心に従って勇気を出して踏み出した時、

そこに勝利が与えられ、同時に神様の方で、ペリシテ人の陣営に恐れが満ちるようにされました。(14節−15節)非常な恐れが陣営に起こったと書かれています。


神が共に働いてくださる時に、私たちが負うべきものを主が与えてくださる。それに精一杯取り組み、その後は神の領域、主にお委ねしますという姿勢が求められているということ。


❷信仰のあるところに神の働きは現れる。

このヨナタンに対して、父親であるサウル王の信仰は神様の前にご都合主義の貧相なものでした。サウルは戦場の様子から、祭司を呼び出し、神の臨在であるエポデを持ってこさせ、神に伺おうとしましたが、状況を見て、それも早々に切り上げて止めてしまい、神の御心を聞かずに戦いへと出ていってしまったのです。

息子ヨナタンと全く異なる神様への姿勢です。


23節には、この戦いは「人」でなく「主」がもたらしてくださったものであることをはっきりと記しています。「その日、主はイスラエルを救われた。」と。


みことばに「すべての良きものは、主からの賜物である。」とあるそうです。

へりくだり、信頼し、主が成してくださることを信じて求め導かれていきたいです。


この不安と恐れで満ちてきたイスラエル軍を勝利へと導かれたのは神様であり、

その神さまが喜び、用いられたのは、ヨナタンの信仰と共にいった荷物持ち、この二人の勇敢な姿勢・従順でした。

教会にも「サウル」と「ヨナタン」がいる、そう語られました。

また私たち一人一人が「サウル」になっている時があり、「ヨナタン」の信仰にならうものとなるべきことを示されました。

私たちは恐れて、退くものでなく、主にあって勇敢に共に働いてくださる主を見上げて進むヨナタンのように生かされたいと強く思わされたことでした。



さて、今日のCSも元気いっぱい‼️初めてのお友達も加わり元気にスタート!

お話は第一サムエル記9章より。工作は「空とぶ魚!」

体をいっぱい動かして楽しいひとときでした!

暗唱聖句は箴言5章21節「人の道は主の御目の前にあり、主はその道筋の全てに心を向けてくださる。」


「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。

第二テモテ1章7節」聖書

シャローム!主の平安が今週も豊かにありますように・・・。

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