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「神様を知ること」*サムエル記2章1〜11節

更新日:2023年1月27日


雨風の強い1日でしたね。無事に到着して礼拝。

礼拝は、「ハンナの賛美」と題して、サムエル記2章1節から11節よりメッセージ。

幼いサムエルを、願いと祈りに答えてくださった主に捧げたハンナの口から溢れ出てきた祈り・賛美です。


❶ハンナの祈り


ハンナの祈りは、神様がハンナに成してくださったことに対する個人的な経験・喜びから溢れる賛美に留まらず、これから神様が地上になさろうとすること、これまで導いてくださった神様がこれから先にもっと素晴らしいことをなさろうとしておられるという預言の言葉となっています。


神様は全世界を創造され支配されている偉大なるお方です。そのことを想うときに、私たちはあまりのスケールの大きさに圧倒され、神様との距離感が広がってしまいます。

しかしながら、この神様はいつも私の歩みに深く関わってくださり、片時も目を離すことなく見つめ、必要なものを常に備えてくださる愛あふれる優しい「私の主」なのです。


自分ではどうにもならない、どんなに努力しても達成することのできない事柄を前にして、諦められずもがく日々を過ごすハンナでした。もう一人の妻ペニンナからの執拗な嫌がらせやいじめ、嫉妬を受けていたハンナは、神様によって助け出されました。


「私」に深く関わり「私」を心に留め、その願いを決して無下にしない神様の愛と確かなご計画を、ハンナは体験し深い喜びに満たされ賛美といのりをささげたのです。


❷ハンナの賛美


2節以降から、ハンナの祈りは一つのことに向けられてます。ハンナは、信じる唯一の神様がどんなに偉大で素晴らしいかを賛美しているのです。


「主のように聖なる方はいません。」2節

「私たちの神のような岩はありません。」2節

「すべてを知る神」3節

私たちの信じる神様は、この世の始まりから終わりまですべてをよくご存知で、私たち一人一人の人生の全てもご存知。他に比べうる存在などないという信仰の告白です。


私たちは、人生で悩み、苦しみ、もがきます。でも、何一つとして神の許しなしに起こって来ることはないということを知るときに私たちの心には不思議と平安が与えられます。


J.I.Packerという先生が50年前に書かれたという「神を知ること」(神について)という本が紹介されました。


「神を知っているという事実ではなく、神が私を知っているという事実。神が先んじてまず私を知ってくださっているということ、いっ時たりとも神様が注意をそらされることはなく

いつどのような時でも、どんな暗闇の中でも、神の配慮がそこにあり、

神が離れることはない、常に私を見ていてくださる主。私とともにいてくださる主。

私たちは神さまは偉大だと言いながら、現実は小さく見積もっていないか?

神様がおられ、働いてくださっているということも、私の知性・限られた枠の中に留まってしまうなら、それは本当に貧相な信仰であり、神はそれよりも遥かに遥かに偉大であられるということ。・・・・」


聖書の中にハンナの賛美はあってもペニンナの賛美がないのは何故か。それはペニンナが高ぶっていたからであり、そのことで、彼女は「神」を知る機会を失ってしまったからであると語られました。


9節には「主は敬虔な者たちの足を守られます。」とあります。「敬虔な者」とは、神の憐れみ、慈しみに頼って生きる者であり、神様は御名にかけてそのような者たちを守られると言われているのです。

詩篇23篇3節に「主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに私を義の道に導かれます。」とあります。神様は神様の名にかけて、神を慕う者を守られるという御言葉です。


私たちは、生きる限り、苦しい道を通らされます。辛くて涙するときもあります。

しかし、「それでもね」と言えるチャンスがある。神によって引き上げられ、今の私がいるのだと、証することができる。必ず助けて導いてくださる、私の人生に責任を持ってくださっている神様が共にいて、必ず良きにしてくださる。ああ、なんて感謝な幸いな道を歩かせていただいていることでしょうか・・・。


❸神は高ぶる者を裁かれる


10節には「主ははむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばかれます。」とあります。


地の果て果てまで・・・全世界。非常にスケールの大きなさばきについて語られています。一介の信徒・婦人であったこのハンナが、世の終わりについて、またこれから始まっていく王制についても言及しているということ。

単なる霊的な高まり、祈りが引き上げられたということでなく、ハンナの口を通して神様がご自身を明らかになさっていった。そのことを知ることができるということです。



日々の歩みの中で戦いを覚え、心疲れてしまう私たちです。しかし、主が約束されているこの世の終わり、「再臨」は、それがいつであるかは隠されており、誰も知ることはありませんが、神様が決められた時に、必ずやってきます。


主が再び来られるときに、今の苦しみの理由も全てが明らかにされ、私たちは救いをいただいて主の元に引きよせられるのです。

最終的な裁きの日。「神よ。あなたの他に神はいません。あなたは生きておられる。素晴らしい偉大な主」と賛美をする日が来る。

「マラナサ。」「主よ。来て下さい。」

主に祈りつつ、今週も心新たにこの主と共に、歩まさせていただきたいと願わされました。


新しい一週間も主の守りがありますように!


「御霊と花嫁がいう。『来て下さい。』これを聞くものも『来て下さい』と言いなさい。渇くものは来なさい。いのちの水が欲しい者はただで受けなさい。」

「これらのことを証する方が言われる。『しかり、わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ。来て下さい。主イエスの恵みが、全ての者と共にありますように。」

ヨハネの黙示録22章17節・20、21節        聖書

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