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「神様は必ず報いて下さる」*箴言24章

更新日:2023年3月18日



祈祷会は箴言24章より。

❶悪い者たちを羨むな。

 1節にそのように書かれてあります。1節から9節に至るまで、「知恵」と「愚かさ」について書かれています。

 私たちは、生かされていく中で、経験を通して「知恵」を得ますが、主なる神様が、みことばを通して語られる「知恵」があることを覚えたいと思います。

 何でも経験を通して「知恵」を得るのでなく、未経験のことに関しても、神様が直接大切なことを語ってくださる。だから、神様に知恵をくださいと教えを請うことの大切さ。


 箴言は「主を恐れることは知恵の初めである」と教えていますが

神を恐れるとは、全知全能の神に求めてゆく道です。

神様の許しなくば、髪の毛一本も落ちることはない。こういう完全な全てをよくご存知の、全てを支配されている主に、何をするにも教えを請うということはなんと尊いこと。そしてその道を知っているということはなんと確かで安心な道か。

 

みことばを聴きながら、パウロが船旅で暴風にさらされた時に伝えた言葉の一節

「あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」というみことばを思いました。(使徒27章34節)この言葉はイエス様が世の終わりについて語られている時に、使われています。(ルカ21章18節)

こんな私たち一人一人それぞれの髪の毛さえ、主はケアされ支配され守られているのだと、

主の許しなくば、髪一筋も地に落ちることすらないとは、改めて驚きます。


私たちが悪に勝利するには、手を出して、経験して、失敗してみて、そして気づくというのではなく、神の知恵により「そこに触れるな」「勝利の道はこちらだ」と教えられるその声に聞き従うことが大切です。それでも、教えられているのに、悪に触れてしまい後悔する弱さがあります。このような失敗さえも、父から子へ語り、経験しなくても良いことがあるのなら、神様はこういわれると子に伝えて行かねばならない。そんな責任を思い、箴言が語る賢い道をゆくことをもう一度覚えました。


❷神からの報いという認識を持つ

10節から22節を読むときに、神様という方が正しい報いをされる方であることがわかります。神様はちゃんと私たち一人一人を見ておられ、報酬を与えてくださる方なのです。

私たちは、何かをする時にも、そこにしっかりした目標があるなら、マイナスがあったとしても頑張ろうと本気になれます。


私たちが神の前に正しく生きようとするなら、必ず神の報いがある。正しく裁かれる方は正しく報いてくださる方なのです。私に与えられた賜物、時間、能力、力を惜しむことなく主に捧げてゆくときに、主はそれを喜び正しく報いてくださる。


この目では見ることができないけれども、確かに生き生きと働かれ見ていてくださる主への信仰を働かせて歩みをなしていくことの幸せを思います。


❸人を正しくさばくことにより、悪から勝利する。

23〜29節を通して、私たちは、人を偏り見ることの愚かさ、また嘘の証言・敵に対して仕返しをしてはならないと書かれていることをみます。

 人を正しい価値観で正しく見、正しく裁くということは感情に動かされやすい私たち人間にとっては難しいことで、偏見を持ちやすいものです。私たちは自分の価値観で人を判断してしまいやすいものだからです。


この点において、主の知恵を得る必要があります。箴言の作者ソロモンはイスラエルの王となるとき主に願い「知恵」をいただきました。このソロモンが二人の女性の裁判で賢い質問をすることにより、真実を見極めた記事が出ていますが、私たちもまた、自分の判断ではなく、主からの知恵を願い、祈り求めながら、賢い判断をしてゆくことの大切さを教えられました。


❹勤勉に働くこと

30節以降で、怠惰は貧しさを招き、それは悪事を働くきっかけにもなるということ、「働かざる者、食うべからず」という言葉を私たちは知っていますが、与えられた働きを怠けてゆくと貧しくなるということと同じように、霊的なことも、成すべきこと命じられたことや語られていることに怠惰であると霊的な貧しさを招くということも忘れてはなりません。


毎日聖書を読み、祈り、礼拝において主の前にでて、奉仕をする。小さなことに忠実な人は主から大きなことを任されてゆくのです。与えられた勤めに対して忠実に生きようとするときに信仰が固いものとされ、強められてゆきます。


エペソ6章12節にこのみことばがあります。

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配・力・この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と。


24時間365日神様は私たちを見つめてくださっている。しかし、サタン・悪霊も24時間365日、常に私たちに「隙間」がないか監視し続けており、あわよくばその隙間に入り込んでこようとするのです。

私たちはいつだって霊的な戦いの中にあります。それは教会にいてもです。


種がまかれた先から、鳥がそれを取り去ってゆくように、頑なな心に入り込んではみことばの種をついばんで持ち去ろうとするサタン悪霊の存在を忘れてはなりません。

ここだから安心、教会だから大丈夫ということはないのです。


私たちは、神の前に自分の心を柔らかい土のようにして、あなたのみことばに応答できるように助けてくださいと祈りつつ、主の知恵のみことばを蓄え、この世にあって

霊の戦いに勝利するものとして神の武具をしっかりと身につけ、歩みを強められたいと思います。


「ですから邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神の全ての武具を取りなさい。そして堅く立ちなさい。腰には真理の帯をしめ、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。

これら全ての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪いものが放つ火矢を全て消すことができます。救いのかぶとをとり、御霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

あらゆる祈りと願いによって、どんな時にも御霊によって祈りなさい。エペソ6章13〜18節」アーメン。         


主の許しなくば髪一筋も失われることはない人生。そんな確かな万軍の神様の許しあっての今であることを思い、この主から知恵をいただき強められ、歩みを支えられてゆきたいです。


「もしあなたが『私たちはそのことを知らなかった』と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。この方は、おのおの、人の行いに応じて報いないだろうか。箴言24章12節」聖書



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